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「医療と介護の相談」講演の記録その4 心理士の仕事の実際

鎌倉市今泉台にある六丁目くらぶ

前回は、こころは身体と社会とそれぞれ繋がっているというお話をしました。私のようなメンタルヘルスの支援者は、身体ーこころー社会、これらが調和を保てているかどうかという視点から目の前の人の悩みや苦しみを理解しようとしています。具体的なイメージをもっていただくために、架空の相談例をお話ししましょう。

2.3 身体が限界を迎えた会社員のタダシさん

50代男性のタダシさんが会社の健康管理室から紹介されて私の相談室にやってきました。半休をとって仕事をしてから来たのでしょうか。彼はスーツ姿で「よろしくお願いいたします」と丁寧に挨拶をされました。

彼は日経企業の中間管理職として働いていました。ここ数年は会社の業績悪化に伴い、人員が削減されるとともに、人員の配置換えが頻繁に起こっていました。人員は削減されるのですが、会社は事業内容を変更したり手放すことが出来ないようで、部署や社員あたりの業務量は増大しているようでした。当然、そのような環境下では体調を崩して病休に入る社員や、より良い職場を求めて離職していく若手社員が出てきます。彼の部署でも、数か月前にひとりの社員が病休に入ってしまいました。

限られた人員が更に減っても、彼は管理職としてなんとか部署を回さなければならない立場にあり、責任感もありました。「部下の仕事をこれ以上増やすことはできない」。彼は残業と休日出勤を重ね、ギリギリのところで仕事を回していく日々が続いていました。先の見通しは明るくなりません。けれども、彼は自分がここで立ち止まるわけにはいかないと感じました。一度立ち止まったら、ここで弱音を吐いたら、もう働くことが出来なくなってしまうような気がしていました。

彼は眠れなくなっていきました。直前まで仕事に集中して活性化した脳を無理やり休めるために、そして漠然と抱えている不安を紛らわすために、お酒を飲んで布団に入ります。日が経つにしたがって、眠気を感じるまでに必要なお酒の量は増えていきました。また、食欲が低下していきました。空腹も感じられないながらも、彼は作業のようになんとか食べ物を胃の中に入れます。効率よく食べやすいものを摂取するその時間には、味も喜びもありませんでした。

社内で行われるストレスチェックの結果、彼は「高ストレス者」として産業医や健康管理室での相談を勧められる通知を受け取り、専門家に相談してみることを選んだといいます。彼自身、自分の心身の状態が普通でないことは、薄々気が付いていたのです。

私は彼の身体も、彼が置かれている環境も、どちらも無理をしてボロボロになっているという印象を抱きながら話を聴いていました。こころは身体と環境のどちらにも繋がっていますから、身体と環境、そのどちらも整える必要があります。

身体の面でいえば、彼は食欲や睡眠といった生き物としての基本的な機能が崩れている状態にあるので、崩れた体のバランスを元に戻さなければなりません。そのために必要なのは休息です。お薬の力を借りた方が良いかもしれないとも思います。特に睡眠に関しては、アルコールで眠るよりもお医者さんから処方される睡眠導入剤の方が、身体の負担が少なく済むことがほとんどです。

また、彼が同じ環境の中で同じように仕事をするのであれば休まる暇がないですし、仮に休んで復帰したとしても同じことの繰り返しになるのがオチです。彼が置かれる環境を、より無理の少ないものに調整していく必要があります。年齢を考えると転職は厳しいでしょうから、なんとか今よりも負担を少なくしつつ、この会社で定年を迎えることが最善だろうと、私も彼も考えました。

私は、彼の身体が限界に来ていることを伝え、私よりも体の状態をよりよく診ることができる精神科医か心療内科医を受診することを勧めました。その人たちならば、心身の状態を整えるための適切なお薬を選択して彼の助けになるだろうと。また、彼らは会社に対して効力を持つ休職のための診断書を書くことが出来ます。

医療機関にかかって診断書を発行してもらう病休に入ると、健康保険組合から傷病手当金が支給されるので一定収入を保ちながらお休みをすることができます。また、復職する際の配置に関しても主治医はコメントをすることができます。どのような配置をされることが、彼が健康的に能力を発揮できるかについて主治医が診断書を用いてコメントすれば、会社の人事もその声に耳を傾けて配置を考える可能性があります。

彼は自分がこのままでは続かないことは分かっていたと話しました。それでも、自分から精神科医にかかることは難しいことで、まだカウンセラーの方がハードルが低かったと話しました。また「自分は受診してもいいレベルなのだ」というお墨付きをもらったという安堵感があると話してくれました。メンタルヘルス医療や支援にかかることは今でも偏見が伴いますが、彼が見てきた世界と私の世代が見てきた世界では、社会的偏見の度合も相当に異なることが予想されますので、無理もないことだと思いました。

彼は私の意見を聞いてくれました。転職が難しい彼にとって、残りの10年弱をなんとか会社で生き残っていくためには、ここで病休を取って、配置換えに臨むことが合理的だと考えてくれたようです。

タダシさんとの面接はその1回で終了し、また何かあれば来てもらうことにしました。私がしたことは必要な情報提供とアドバイスであって、正確にはカウンセリングと呼ばれるようなものではないかもしれません。このように、こころの不調に身体と社会が関わっていて、そのどちらか(あるいはどちらも)が崩れている場合、こころに目を向けるカウンセリングをする前に、身体や社会に目を向けていくことが大事な仕事になることもあります。